正気を保つ権力・腐りゆく権力   2004年7月掲載

 「イラクレポート第2弾」と題したこの欄のコラムで、危険地帯に足を踏み入れるジャーナリストの保険について少しだけ触れている。
 日本人ジャーナリストが危険地帯を取材する場合、「危険特約付き」の保険は料金が10万円〜20万円にもするにも関わらず、死亡時は150万円ほどしかもらえないこと。一方、EUでは、EUパスポートを持った者に対し、一日6〜700円で最高保障の戦場特約保険を用意している、という記述だ。
 前回以降、状況は少し変わり、たとえば混迷を極める現在のイラクに日本人が行く場合、「リスクがあまりに高い」との理由で、保険を受けてくれる会社はない。つまり、今、日本人が個人でイラクに行こうと思っても、保険に入ることさえできないわけだ。
 EUの保険が現在のイラクをもカバーしていることを考えると、ジャーナリストに対して、社会の対応には雲泥の差があると言わざるを得ない。
 社会の中で、ジャーナリストの役割とはどのようなものなのか。そして、なぜ、EUはジャーナリストの危険な仕事に対して、特別な保険を用意しているだろうか。

〔ジャーナリストの役割〕
 社会におけるジャーナリストの重要な役割は、権力の監視・監査だろう。権力は暴走し、腐る。それを防ぐのがジャーナリズムに他ならない。
 そのため、日本国憲法第21条で「報道の自由」が確約されているわけだ。日本の為政者たちは、だが、この条文をどれほど本当の意味で理解しているのだろうか・・・。
 その一方で、EUは、ジャーナリスト保険を用意するくらいだから、25カ国からなるこの新「合衆国家」の権力者たちも、「報道」の存在意義を充分に理解していると感じる。国と国が入り交じり、絶えず戦争を続けてきた歴史を持つヨーロッパ。それらの戦争がほとんどの場合、権力者の暴走とおごりによって始まったことを、市民だけでなく、為政者もしっかりと記憶し続けているのだろう。

〔歴史を刻むヨーロッパの街並み〕
 第二次世界大戦中の激戦地、フランスのノルマンディー地方を訪れたことがある。海峡をはさんでイギリスの対岸に位置するノルマンディの海岸線およそ100キロには、アメリカやイギリスを中心とした連合国軍の上陸ポイントが碑として刻まれている。また、奇襲上陸作戦とその後の戦闘で犠牲になった兵士たちの集団墓地が、国別に点在している。私にとって衝撃だったのは、そのひとつが、ドイツ兵士の集団墓地だったこと。ドイツといえば、当時の敵国、「ノルマンディ上陸作戦」で戦った相手国だ。その墓地は、決して社会から隠されているのではなく、芝生が敷きつめられた広大な敷地に、石作りの清楚なデザインをした十字架が戦死者の数だけ、まわりの光景にとけ込むように建てられているのだ。そればかりか点在する木々からは鳥たちの声も聞こえ、ゆっくりと散歩するのに格好の場所となっている。地元の男性は「良い出来事も、悪い出来事も、すべてが私たちの国、フランスの歴史なんです」と、言って私を案内してくれた。
 ポーランドの首都ワルシャワも、同じ大戦で、ドイツの侵攻を受け、形が残らないほど激しく破壊されている。そのため今残っている旧市街の街並みは、戦後、再建したものだ。しかし新しい街を戦後作ったのではない。残っていた写真を頼りに、破壊前の街並みを、建物の傷やシミのひとつまで忠実に再現したのである。つまり、わざわざ、「古い街」を作り直したわけだ。私のガイドをしてくれた観光案内人は、「過去の歴史を引き継ぐことが、未来の失敗を防ぐ」と事もなげに語った。(ちなみに、ワルシャワの街もそうだが、ヨーロッパに残る古い市街地は、大抵、石やレンガで作った2〜3階建ての家が、隙間なく隣り合い、寄り添って建っている。一見すると、おしゃれな街並みだが、これは、敵が攻めてきた時、街を要塞として機能させるための建築様式。つまり、いかにヨーロッパでは「戦争」が日常であったのかを建物も物語っているのである)
  ヨーロッパでは、歴史の中で途切れなく続いた戦争から、人びとが学んだ教訓が3つある。ひとつ目は、為政者のおごりと暴走により、多くの戦争が始まったこと。ふたつ目は、本当の意味で「大義を守る戦争」など、歴史をふり返ればほとんど存在しなかったこと。そして3番目が、「費用対効果」の観点からいって、戦争は割に合わない事実だ。
 これを逆に考えると戦争を防ぐ方法が見えてくる。「費用対効果」が悪く、社会に甚大な損失を与える戦争行為を防ぐには、戦争を始めようとする為政者の口にする「糖蜜のように甘い大義」を疑い、監視、監査し続けること。つまり、ジャーナリストの仕事が重要な意味を持つわけだ。
 社会におけるジャーナリストの役割を充分に認識し、活動を助けようとするヨーロッパ。逆に新しい法律を作ってまでジャーナリストの活動に縛りをかけようとする日本。ここに、正気を保ちたいと努力する為政者と、権力に溺れ、腐りゆく為政者の大きな違いがある。